なぜ今ブログか

ネオ意識高い系な2016年の幕開け

ふぅ…危うく三日坊主になるところだった…(・`ω・)

三ヶ日が終わってからのスピード感がすごかった。シンプルに、意識を変えると、世界の見え方が変わる。発信をより意識するようになってから、受信の質が向上するのを感じる。今年は、生産性を上げながら投入労働量もギリギリまで増やし(体力つけよ)、去年よりも更にギアを上げていく。意識高い系と、どんなに揶揄されてもそれでも、上げていく。ネオ意識高い系として生きていく(ネオ意識高い系についてはまた別途)


なぜ今ブログか

さて、「なぜ今ブログか」というテーマについて。端的に言うと、個人の情報発信において、量と質の二軸での棲み分けをすべき、と思ったから。今までの自分の発信方法はどちらかというと量やフローに寄っていて、質への意識が低かった。それでは、日々の事象から気付きを得る力や抽象化能力が成長しないと感じた。

■ "量"に寄ったフロー型メディア(更新頻度の高さやタイミングが重要)→Twitter。

■ "質"に寄ったストック型メディア(コンテンツクオリティが重要)→ブログ。

こんなイメージ。つまり、完パケ度合い(削除/編集可能性とも言える)が高い順に、

① Twitter (削除/編集可能性:高)

② ブログ (削除/編集可能性:中)

③ 本など(削除/編集可能性:低)

となっている気がして、自分の中に、①と③の架け橋なる②の存在が欠けているなと、なんとなく思っていた。


「編集不可能なもの」の価値

最近、コンテンツとして、「編集不可能なもの」が、より人の心に届く(刺さる)のでは、仮説を持ち始めている。当然、例外はある。ただ、伝統的に考えられている「コンテンツの質」の定義に、「身近さ・親密さ」など新しい軸が加わってきている(AKBが、いままで偶像であったアイドルを、身近で親密なものと再定義し、「会いに行けるアイドル」として濃いファンを獲得→マス化した事が好例)と流れと同様に、「そこにリアリティーがあるかどうか」という観点も、従来以上に重要性を帯びてきていると思う。個人的に、編集可能性の高いものは、「作られたもの」という感じがして、なんだかリアリティを感じない。作り込まれすぎたテレビ番組に対しては、なんとなく浮世離れした感じを受けてしまい、深く感情移入できない。SHOWROOMが生配信に特化しているのも、編集不可能性が、偶発性や予定調和破壊、ひいては「ドキドキ感」を生み出すからである。


発信力の成長という観点

本を出すなら、Twitterなどフロー型メディアに比べて、整理された思考を打ち出すマナーが前提となるブログでの思考 / 発信訓練が大事になるはず。一番上に載せていた拙い4象限チャートを見てもらいたい。より完パケされた編集不可能なコンテンツ(つまり本)などを、高いクオリティで打ち出していきたいと思ったら、一旦発信すると基本的に取り返しのつかない媒体(ブログや講演など)におけるアウトプットを繰り返す事で、ストック型メディアでも勝負できる自分たるべく、思考訓練をする必要がある。そんなわけで、これからも楽しくブログの更新を頑張ります。

おっとそして…今夜は時間が来てしまいましたので、また次回!(これいつまで続けようかな…)

Apologies to Matt Damon, we ran out of time tonight...

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